ウルトラシリーズにおける宇宙人観の変化
50年を超えネクストステージへ進もうとしているウルトラマン。
ここ数年で「オーブ」「ジード」の登場により作品としての懐が更に広くなった印象を抱いております、ガルシアです。
古くから見ている人が不意を突かれる展開、表現というのは、自然と門外漢でも取っつきやすいのか、「オーブ」以降急に新規ファンが増えた印象があります。
あくまでウルフェスやEXPOでの様子から見た感覚なのですが、それに加えウルトラ見ていなかった友人も食いつくところを実際に見た者としては、新たな風を感じずにはいられません。
しかし個人的な感覚としては、これに至るまでの下積み期間があってこそだと思っています。
後天的にウルトラマンとなり、光と闇の定義を改めたオーブ。
悪の戦士の遺伝子を持ちながら自分のヒーローと仲間を信じて戦ったジード。
ウルトラ戦士の1人というよりは、各個人としての描かれ方が強調されています。
こういった「種族<個人」という構図を定着させた作品は2013年に発信されていたのです。
「ウルトラマンギンガ」。防衛隊の存在しない世界、限定された空間で展開されたストーリー、怪獣にも変身出来るアイテム等、かなり異色な要素が詰め込まれていました。
自分としては、かつてはただの「フィギュア」だった怪獣ソフビを「変身アイテム」と両立させたスパークドールズという設定がひたすら秀逸であり、変身後の謎空間の表現による「なりきり度及びDX玩具の需要の向上」はその後のウルトラシリーズにおいて必要不可欠であったと断言したいところです。
しかし今回特筆したいのは、個性溢れる宇宙人達です。
ルー大柴的な台詞で悪事をはたらくバルキー星人、語尾に「イカ」をつけるイカルス星人、オカマ言動で暗躍したナックル星人グレイ。そしてその3人にパシられていたマグマ星人。
ラスボスの手下・闇のエージェントとして選ばれた4人は、かつて地球に現れた同族とはかけ離れたキャラクターでした。
同族の宇宙人が登場するエピソードは、遡れば初代ウルトラマンの時点で作られており、そのものは決して珍しくありません。
加えて「ウルトラマンマックス」以降は、そういった回が定番化し、過去怪獣・宇宙人の出現は当然のものとなっていました。
「宇宙人には良いヤツもいる」を更に掘り下げ、「同じ種族でもコイツはこうでアイツはこうだ」という個性の提示が顕著になるきっかけだったと思います。
そして忘れてはならないのは同時期にデータカードダスとCGアニメで展開されたもう一つの物語。
「大怪獣ラッシュ」。ウルトラマンの存在しない宇宙において、怪獣を巨大凶暴化させる鉱石プラズマソウルを巡り、宇宙人達が時に争い、時に磨き合う世界。
ウルトラシリーズのウルトラマン以外のキャラのみでの世界観構築はもちろん、キャラクターデザインの突き抜け方に当時衝撃を覚えました。
腰の防具を連結させ巨大な手裏剣にするバルタン星人を筆頭に、これまでにない表現で生まれ変わった「ハンター」と呼ばれる宇宙人達。
その最大の魅力は、デザインに負けず劣らず個性的な「生き様」。
死に急ぐ者もいれば、名声の為に戦う者も有り。
他種族を受け入れる者、拒む者。秩序を守る者、悪事を良しとする者。
これらは種族単位ではなく、個人単位で異なります。
我々の知っている宇宙人であると共に、知らない宇宙人でもあるという世界観。
この後の作品において宇宙人に個別の名前が付く事が定着していきました。
「ギンガ」と「ラッシュ」。
ウルトラシリーズの挑戦は既にこの段階で始まっていたと思われます。
そしてこの後、宇宙人観というものが徐々に変化。
継続して個別名を持つ宇宙人が登場した「ギンガS」。
人類と共闘する宇宙人が登場すると共に、怪獣との共存の意味を改めて問う「X」。
悪の星に生まれた者の心の変化等を通して、光と闇という考え方を新たに示した「オーブ」。
多種多様な宇宙人達が混ざり合い作られた組織が存在する「ジード」。
決して表立って取り上げてきたわけではないものの、作品が増える度に「種族<個人」という構図を洗練してきたウルトラシリーズ。
特に「オーブ」以降は、他種族が身近にいる描写がより多く感じられました。
加えて、最初は宇宙人のみだったものが徐々にウルトラマンサイドにおいても重要視されているように感じます。
この先種族単位で宇宙人が語られることも稀になっていくのかもしれません。
これも時代の変化を作品に反映したのか、自然とそういった作品へと昇華されたのかは分かりませんが、自分としてはとても良い変化であると思っています。
自分は自分のまま生きていけば良い。ウルトラマンも宇宙人も地球人も。
そう言われるだけで、ちょっとは心が安らかになりますから。